ゆく年くる年、モ探しの旅 〈石垣島〉
石垣島で年末年始を過ごすことが、私の人生のルーティーンとなっている。日本最南端の八重山諸島も冬はそこまで暖かくはない。大寒波に見舞われれば修行のような時を過ごすこともあるのだが、もはや欠かせない年中行事なのだ。
今年のハイライトは、モ、である。
ダイビング初日に記入する申込用紙に「見たい生物」という欄があるのだが、昨年からここに〝なんとかモウミウシ〟と曖昧にリクエストするようになった。モ、すなわちモウミウシとは、身体をトゲトゲというかフサフサというか密集した突起に覆われていて、まるで羊のような愛らしいルックスでダイバーを魅了するウミウシの一種である。その代表格であるホホベニモウミウシは海外でしか見られないが、ほっぺたがピンク色でまるで冗談のように可愛いのだ。
(↓これ。写真は借用)
会えるものなら会ってみたい、そんな願いを込めリクエストした結果、モ中心、いやモに振り回されたと言っても過言ではない年末年始となった。
12月30日 モとの遭遇
ダイビング初日、「モが大発生しているエリアがある」と東海岸のポイントを潜った。ガレ場を探す太造さん。バフッと叩いてモクモク舞い上がる煙の中からフワフワ落ちるウミウシを探すという、伊豆でよく見るスタイルで探索を始めた。と、ものの数分で小さな黒い塊が差し出される。えっ、もういたの?ズームすると確かにモのようだ。そうこうしているうちに、1人1モ、その後1人2モが与えられる。まさに大量発生である。初めてのモがこんなに贅沢でいいものだろうか。そう頭の片隅で考えつつ、夢中でシャッターを切る。
ツマグロモウミウシと言うらしい。うん、モだ。初めてのモだ。うん。ありがたい。でも、ちょっとだけ違うのだ。本当は緑のやつが見たいのだ。それは「ツマグロモ」ではなく「クサイロモ」とか「ウサギモ」とか言うらしい。
1月2日 モ探しの旅
遅れて合流したお金持ちダイバーKGさんは、はっきりと〝緑のモ〟をリクエストしていた。数年来の念願が叶って那覇に転勤したばかりのKGさんは、「石垣で見れないならゴリチョ(沖縄本島の有名ポイント)で探すからいいです」といつも通り低く平坦に元も子もない発言をして、これが太造さんのモ魂に火をつけた。年が明けた1月2日の3本目、Aさん、Iさん、KGさんとのいつもの4人チームで、モを探そうと竹富南の砂地に赴いた。どう探すかと言えば、小さな緑の葉っぱを一つずつめくって目を凝らす、地道なローラー作戦である。
私も最初はワクワクと葉っぱをめくり続けたが、30分もすると飽きてしまった。周りを見回すと、太造さんは言うまでもなく虫メガネを片手に探し続けているし、KGさんも嬉々として葉っぱをめくっている。ちゃんとした大人であるAさんは、もしかしたら飽きているのかもしれないが律儀に葉っぱに目を凝らしている。仕方ないので同じく完全に飽きた様子のIさんと2人、「あきた」「さむい」「かえりたい」「おいてけぼり」と砂文字で会話をしたり、数日前はメインだったはずなのに今や誰も目もくれないイロカエルアンコウを撮影したりして時間を潰した。
ばっちり60分、水深10mそこそこでDECO(これ以上この深さにいたらダメですよとコンピュータに警告されること。通常はもっと深場で気にする)が出そうなぐらい粘ったが、モは見つけられなかった。寒いし飽きるし60分は辛いなと思ったが、希少なのだろうからそんなものかなとも思った。この日のダイビング後はAさん、Iさんとハセタク(※後述)に乗り恒例の初詣に出かけたが、「モに会えますように」とは、さすがに祈らなかった。代わりに沈む夕日を眺めながら「明日もモ、探すんかな」とぼんやり考えた。
ちなみにおみくじは小吉だった。とは言えよくよく読むと人まかせで色々と解決する感じで、何事もタイトルよりも中身が大事だな、なんて思った。
1月3日 続・モ探しの旅
翌1月3日。本腰を入れてモを探すぞと、1本目から60分潜ります宣言がなされた。水深5mの名蔵湾の穏やかな砂地ではエアも減らないので始末が悪い。
今日はものの20分で飽きが来た。この時期の湾内はより寒く、少しでも暖を取ろうと正座をしてぼんやりとした。
なんならこのまま昼寝でもしようかとすら思って隣を見ると、やはりそこには飽きた様子のIさんがいた。もはや飽きたことを隠そうともせず、Iさんと2人で遊んだ。
クラスの落ちこぼれ感は否めないものの、それはそれで楽しかった。そして今日もモには会えなかった。KGさんとIさんはこの日が最終日だったのだが、KGさんは「自分が帰ったあとに誰もモを見ませんように」と呪いの言葉を残して去って行った。
1月4日 続々・モ探しの旅
翌日は、Aさんと私、そしてKGさんに半ば無理やり「モが見たい」というリクエストを書かされたYさんの3人チームだった。3本目、「ここでおらんかったらもう二度とモは探さへん」と覚悟の断モ宣言をする太造さんと、浜島東へ赴いた。いつも行けるポイントではないが、前回モがいた場所なのだそうだ。よりモが住んでいる確率が高いという団扇型の多肉質な葉っぱが生えた砂地にワクワク感が蘇り、初心に帰って葉っぱに目を凝らした。なにやらモの卵のようなものまでは発見した。
しかし本体が見当たらない。初心は早々に消失し、モなんていないよねという諦観に包まれる。またもぼんやり正座を始めた40分ごろ、なにやらAさんの周りが騒がしくなる。太造さんが虫メガネで確認した後、普段はシンデレラウミウシのようにエレガントなAさんが男らしいガッツポーズをしているように見えた。これはただごとではない。飛んでいくと、なんと、いたのである。モだ。肉眼ではフワっとした緑色の粒だが、カメラをズームすると紛れもなくモだ。夢中でシャッターを切った。
2022年1月4日、信じる心、諦めない気持ち、前向きな姿勢の大切さを学んだ。諦めなかったみんなありがとう、そんな感謝と心地良い達成感があった。
ところでこのあと数日は道を歩いていても葉っぱを見るとめくりたくなり、特に多肉植物を見ると居ても立っても居られなくなった。完全な後遺症だ。
1月5日 諦めない心を試される
蛇足のような翌日の話である。最終日3本目のラストダイブはマンタ狙いで、冬場には珍しくマンタシティで潜った。しかしマンタの気配はなく、例によって早々に諦めた私はマクロに没頭していた。
35分を過ぎ、ふと手元に目をやるとやけにすっきりしていた。目が飛び出る。ダイコンがない。先を行くガイドの昌子さんに大慌てで伝えると、少し戻ったところで「このあたりにあるはず」と珊瑚畑を指し示される。さすがの冷静さに頭が下がる。しかし自慢ではないが、私はもともと水中の地形を全く覚えられない。言われた通りのエリアを探し始めたものの「ていうか普通に考えれば隙間の深場に落ちてるよな?」と、諦めが心を支配し始める。その時、頭の中で「10万円…!」の文字が激しく点滅した。「じゅう、まん、えんっ…!」という感じだった。そうだよ10万円だよ。何もせず海に捨てて帰るわけには行かないよと我に返り、昨日の学びである諦めない心を思い出す。とにかくどこかにあるはずと信じ周囲をガン見していると…珊瑚の上に白いダイコンが引っかかっていた。むしろ親切な人魚姫か誰かが置いてくれたように乗っかっていた。えっ、まじ?と半信半疑で手に取った一瞬のち、「ぎゃーーーーあーーったぁーーーーっ!」と水中で雄叫びをあげた。昌子さんを追いかけダイコンを手に小躍りをすると、昌子さんも興奮した様子でなぜか記念写真を撮ってくれた。
マンタを見つける以上のドラマチックなエンディングだ。2022年1月5日は、信じる心、諦めない気持ち、前向きな姿勢を試された。そして、モにも勝る達成感を感じた。
備考:ハセタク
ところで、今回は何度かハセタクにお世話になった。シートリップの常連さんの話題に度々のぼる「長谷川さん」が転がすタクシーだ。長谷川さんは関西出身の気のいいおっちゃんで、「目的地までの最短経路を知り尽くしているので急ぎの時に助かる」と聞く一方で、「例え急いでいてもおもてなし精神から色々寄り道してくれがち」という話も聞いていた。最終日、のんびり急がず早めに空港に行って遅めの便で帰るのが好みの私は、ホテルから空港までハセタクをお願いした。乗り込むなり「色々寄り道してくれがち」モード全開で、「いいとこ連れてったるわ」と言われた。まったく急いでいない私は大喜びで受けて立つ。連れて行ってくれたのは立派なガジュマルの木が聳える聖地のような場所。キジムナーが住むと言われるこの木に手を触れてお願いごとをすれば叶うのだそうで、長谷川さんは「ロト6の当たり番号が分かりますように」と呟いていた。
そしてその後も道端に咲くゴウガン(合歓)のフワフワした花を紹介され「触ってみるやろ?」と途中下車、月桃の畑は「これがあるから空気が綺麗やねん」と途中下車、度々車を止めてきゃいのきゃいのと石垣島の自然を満喫した。
無人販売のニンニクをお土産に買ってくれたり、なぜか石垣島のネコジャラシを「持って返り」と切ってくれたりした。
思い出とお土産がどんどん増える30分間に、最後まで楽しい時を過ごした。長谷川さんありがとう。
今回もお世話になったダイビングショップはこちら、シートリップ。いつ会っても元気すぎる太造さんに元気をもらえて毎度心のデトックスをさせてもらっている。終わってみればモ探しも楽しかった。
2022年は20周年、ありがたいことに記念Tシャツをデザインさせていただいた。これからもずっーとお世話になりたいと思う。
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